専業主婦だった私が、50代で離婚して、その後どんな暮らしをしていたのかを記録しておきます。
元夫が離婚宣言して家を出て行ったのが5年前の今頃です。
もう5年か、早いな。
時間がたつのってあっという間だ。
別居中の家計と暮らし
勝手に離婚宣言して、勝手に家を出て行った元夫。
でも、さすがに専業主婦と子ども3人+要介護4の親を置いて出て行くのは心苦しかったのだろう、給料が振り込まれる通帳は置いていきました。
給料は丸ごと私の手元にあり、その中から元夫の希望額を、元夫の口座に振り込むという奇妙な形での別居生活が1年続いた。
弁護士いわく、経済的なことだけ考えたら、「別居生活を長く続けた方がいい」ってことだったけど、どう考えてもこんな生活が長く続くわけない。
元夫が給料を丸投げしてまで家出したのは、不倫相手と自由に会える環境を手にいれたかったから。
元夫は「人生最後の恋だー!」とか思ってたらしいけど(LINEに書いてあった)、それも数ヶ月で終わったようで、現実が見えてくると離婚する妻に払うお金も惜しくなってくる。
なので別居生活は1年ちょいで終了となりました。
ホント、ずっとこのままでもよかったんですけどねー。
離婚後1年目の家計と暮らし
離婚後は、住宅ローンは元夫が払い、この家に私と子どもたちが住み続けることになった。
なので住居費は0円。
びびたるものだが養育費ももらってる。そして不倫相手から慰謝料もとった。
熟年離婚はこんな感じでスタートした。
私は別居中にみつけた、ビジホの客室清掃パートで暮らしていました。
5時間パートなので残業がなければ12万くらい。
ある程度仕事ができるようになると時給がUPし、残業や稼働手当などを入れると15万くらいになった。
体力的にはキツイけど、体を動かしてると何も考えなくていいので、精神的にはラクだ。いろんなことを考えたくなかったから。
離婚届けを提出してすぐに不倫相手に慰謝料を請求した。
離婚してからの方が慰謝料が多くとれるという弁護士の計らいと、離婚前にもめたくないという私の希望からだ。
慰謝料が振り込まれるまで約半年かかり、その間のやりとりが一番ツラかった。不倫相手は嘘ばかりつくし、納得の金額がもらえないなら裁判するかしないかを決めなきゃいけないし。とにかくキツかった。
そして親が亡くなった。
自分のことで忙しくてあまり看てあげられなかったことにかなり後悔した。
離婚後2年目からダブルワーク始める
コロナの影響を受けて、ビジホの仕事がだんだん暇になってきた。
早出も残業もなくなってきて、手取りが12万、10万とどんどん減っていく。
これはヤバいーってことで、速攻ダブルワークを始めることにした。
すぐに仕事はみつかり、高齢者向け弁当の配達パートをすることになった。週1回の8時間勤務で8,400円(当時の時給)×4回か5回なので3万~4万くらいになる。
ダブルワークしてなんとか14~15万くらいになる。
生活はできるけど、これが一生続くのか?と思うと、なんか考えちゃう。
「私はいつまで働き続けるのかなぁ?」と考えながら、離婚2年目、3年目とダブルワークを続けてきた。
離婚後4年目にビジホの正社員になる
ビジホの客室清掃パートを始めてから4年目、正社員になった。
客室清掃のパートは、40~50人いる。
その中の責任者(チーフ)だけは、パートでなく正社員なのだ。前責任者が辞めることになったので、私が責任者になることになった。
仕事内容はかなり違うけど、正社員という言葉と給料+ボーナスにつられて即答してしまった。
基本給は21万円。
これに残業、インセンティブがプラスされて12月の給料は25万を超えた。ボーナスもそこそこ出た。
50代で正社員になれたことはかなりラッキーです。
時給じゃなくなったので、経済的にも精神的にもかなり安定した。よかった。
熟年離婚してもなんとか生きてる
離婚する前は、50代で離婚して、どーすんのよ?って思ってた。
「今が離婚のチャンス!?」と思う反面、50代で離婚するメリットって何よ?今さら離婚って・・・と、いろんな葛藤があったのだけど、実際に離婚してみると、ストレスフリーでかなり快適。
仕事見つかるかな?続けられるかな?の不安もあったけど、結構やれてる。そして仕事が楽しいと思える自分がいたことにもびっくり。
熟年離婚してもなんとか生きてる。
むしろ結婚してる時より快適に生きてる。
あ~、こんなことなら、もっと早く仕事してもっと早く離婚すればよかったとつくづく思う。